古さと新しさの融合

雄勝庁舎解体の話を受け、[白井晟一 湯沢・雄勝6作品群を遺す会]の後ろ盾の元【雄勝庁舎利活用計画】をプロデュースしました。 日本を代表する建築家、白井晟一の作品が秋田に多く残るのは、第二次世界大戦中に知人宅に家財道具を預けた縁です。この縁を次の世代へ繋げるために。

白井晟一とは

1905ー1983年。日本を代表する近代建築家。京都生まれ。
哲人あるいは詩人と呼ばれ、あるときは孤高あるいは異端と形容され、生前から神話化された存在でした。建築にとどまらず多彩な才能を発揮し、書家、エッセイスト、装丁家としての側面も併せ持っていました。

湯沢市雄勝庁舎(旧雄勝町庁舎)

1955年、雄勝郡横堀町、院内町、秋ノ宮村は昭和の合併を受けて雄勝町になりました。ところが間もなく火災で役場を消失、住民台帳も全て焼けてしまいました。当初は予算の関係から木造モルタル2階建てで建て替える予定でしたが、燃えない鉄筋がいいという強い思いから、当時秋田県南で仕事を請け負っていた白井晟一が関わることとなりました。

その頃は戦後10年、議会制民主主義が定着しつつありました。大胆に開けた空間は明るい社会の象徴であり、雄勝の将来をかけた庁舎であったと想像できます。

その後、役所業務が増えたことにより繰り返し増改築が行われ、原形をとどめていないとは言われていますが、随所に白井晟一のこだわりが見え隠れし、建築として今もなおその魅力は健在です。

白井晟一と秋田

1954年10月 『近代建築』の「おもいで」より、白井晟一はこのように語っています。

ー私は関西で生まれたが稚い時から東京で育ち故郷の山河にたいする実感はうすい。言葉も風俗もかけはなれたこのようなみちのくもおくまったところに故郷のようななつかしさを感じるのはきっとこのくにの人々のこまかい人情によるのだと思う。

「雄勝庁舎利活用計画」

8月5日に行われた公開プレゼンテーションで配布された資料のPDFを公開いたします。

正しく申し上げますと、8月5日のプレゼンテーションで配布した資料に、当日追加で紹介した事例の中から許可の取れた内容を訂正した上で上掲載いたしました。 冒頭に「presented by 東北物産株式会社」と加筆した物です。
加筆理由といたしまして、プレゼンテーションのプロデュースを東北物産が行い、内容に関わるすべての裏付けと質問事項は東北物産株式会社が引受けるという意味合いです。

[追記]
内容に重複と誤解を招く表現があり、ご指摘をいただきましたので一部訂正いたしました。
シェアオフィス誘致に関しまして、資料作成にあたり多くの方からのヒアリングにて需要調査を行いました。特定の企業名を出すことで誘致が確定していると誤認されるおそれがありましたので、一部訂正いたしました。それによる資料とプレゼン内容の趣旨、方向性に変わりはございません。

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